物書きになりたい嫁と、レビュアーになりたいテツの二人三脚的くんずほずれつなトークをミディアムレアでご提供いたします。

2013年9月4日水曜日

トゥーサン感想戦

涼しくなったような気がしたのですが、
それ以前に今までが暑すぎたのであって、まだまだ普通に暑いですね、
ご機嫌いかがですか。テツです。

さて、前回のほんよめは残念なことに原因不明ですが、
前半部分がアップされないままに消えてしまいました。
そこで、今回は本腰を入れて感想戦を書かねばならんと思いたったわけです。
どこまで書けるか分かりませんがお付き合いいただければ。

*トゥーサンは僕の大好きな作家の一人です。

が、嫁さんはどう読んでくれたかちょっと気になります。
妙にセックス描写も多かったし、変なところで引っかからないで欲しかったですが
そこは我が嫁、大丈夫でした。
(ただし、スケスケの下着はネタにされました)

でも、ダイジェストとなると話の筋らしいものがない。
ってか、物語の最初と最後でほとんど人物の立ち位置や関係性が変わらない
「展開を極力抑えた」物語になっているわけです。

ひるがえって今までのトゥーサンの作品を見れば
今回扱った『愛しあう』よりもっと筋のない『浴室』などもあるので
ある意味その正統的な発展形として展開のあり得そうなプロットの中で
今までの書法を鍛え上げたミニマルな作品と言うことができそうです。

*日本小説って何よ

ところでこれには帯文があって
「これはまさしく日本小説だ!」はて何を頓珍漢なことを言っているのだろうと
二人とも首を傾げていたのですが、僕としては主人公の逡巡を主題化したとも見える
この手つきが私小説の系譜にぶら下がっているように見えるのではと言ったけれど
嫁は内面描写の抑えられたこの形式はそれほど私小説と親和性が高くないと思うと反対。
その点に関しては同意できるだけに、先に言ったように二人して
「物を売るのって大変ねぇ」と首を傾げていたわけです。はい。
(というか、日本小説で興味惹かれるよりニッチなターゲットってのも、ねぇ)

で、日本小説というキーワードが出てきたので
嫁がそう言えば、と言って前回の『妻と私』の江藤くんを持ってきました。
確かにこれは日本小説、私小説でしょう。

でも、これは妻が難病にかかっているというシーンに至る前に予兆があり、
そして、入院を経て、葬式まで行ってそのうえ
この物語の中で妻から贈られたかのようにそばにある指輪を手に
その後の自分の人生に差してきた道筋をじっと見据えるかのような終わり。
『愛しあう』的扱い方なら
難病にかかっている▶死の予感▶死から逃れられぬという明示的象徴
以上で終わりでしょう。

主人公も江藤くんは妻から「あなたがいると物事が急に動き出すのね」だなんて言われて
(そりゃもう主人公ですから)という感じですけども
トゥーサンは徹底的にヘタレ。ヒロインの仕事に着いていって
近づくほど別れたくなるんだからしゃーねーっす、でも好きなんだなんて
結局近づこうとして別れを濃厚にして行く。
っていうか、最終的にはヒロイン本人というよりも、
妄執的接近を試みているようにしか見えないんだからもはや
「目が悪い人のコント」でも見てるみたいです。

*塩酸って久しぶりに聞く名前だったよね。

理科の教室で使って以来じゃないかな、と思ってたら
えー、全然覚えてない、と嫁。もう少し理数にも興味を持ちたまえよ。

この作品にはずっと別れを意識しながら
よく分からんけど最終兵器的なつもりで男が塩酸の小瓶を持ち歩いています。

展開の少ない物語に緊張をもたらす効果があるのでは、という見方もありますが
それならやはり塩酸でなくていい。拳銃とかのほうがよっぽど分かりやすいしね。
しかも、女と遠いところで使いよるし(ヘタレだからね)

物語の展開を抑制する中で象徴的なものも慎重に省かれているように感じていたので
「無色透明なのがよかったんじゃね、突拍子もなくて読者におそらく用意されている
象徴のレパートリーとしてもかなり低いし。意味的に低カロリーな感じ?」
ごしゃごしゃと僕が言っていたら、
「これは彼女にまったく知られてないものなんだよね」と、嫁。


「だから、男が別れを考えてしまうのは
彼女との関係性を踏まえた現実しか彼の前に現れてないからで
彼女と無関係に彼が持ち込んだ塩酸はそれに対する最後の救いになるんじゃない」

なるほど。

(でも、そこを直視すると存外、
完遂されなかったマッチョだったのか。
割腹しない三島みたいな。)

そう考えるとこの二人の関係という高カロリーな意味価を前にして
すべてがその味に染まってしまう中で塩酸というのは
即物性の象徴としてナイスチョイスかもしらんね。
(味噌カツの横のキャベツはどうやったって味噌味である。腹減った


*いやいや、これは酷評じゃないのよ

こんだけ言いたい放題ですが、二人とも面白い作品だということでは一致してます。
嫁はこれは予感を主題化した物語なんだと言う読みでした。
そういう点では省かれた内面描写と対象的に現れる即物的な外形描写は
すべてのものに別れが宿らせていかれていくようなそんな感覚があります。
(結婚式のキャンドルサービスの逆ですね)

僕としてはこれを書きながら考えているところもあるんですが、
人生に死ぬ以外の楽しみなんてあるのか?という分からず屋に
人生の美しさを伝えようとした物語なんではないかと。

さて、どうでしょう。あったってるかどうか読んだ方のご感想などあれば
またお聞かせくださいませ。

次回はまた月末の土日にする予定です。小山田浩子『工場』。よろしく。